2015年8月8日土曜日

クンダリーニヨガって何? 〜ヨガの八支則とクンダリーニヨガ 〜

クンダリーニヨガって、およそヨガらしくないヨガだと、思われそうなヨガなんです。好き嫌いが大きく分かれるね、と言われたこともあります。

確かに、クンダリーニヨガには可笑しなポーズやエクササイズがたくさん。

握りこぶしを作り、腕を伸ばしたまま3分間、その腕をグルグル廻す、

とか、

膝を緩めて前屈みに立ち、腕を床と平行に横に伸ばし、手首をブラッと下げ(まさに案山子 笑 )、そのままポーズを維持して5分から7分間、

などなど。

膝と肘(!)での4つ足立ちで部屋を歩き回る、なんて、なんやねんこれ、的なものもあります。


「ついて行くのに精一杯でした。。。」

普段のヨガの常識を超えたクンダリーニヨガのレッスン。そんなコメントを頂いたこともあります。初めていらした方は戸惑うこともあるようです。

私はそのユニークさにゾッコン。次に何が来るのか見当もつかないところがツボ、なのです。笑



ところでヨガの常識、って何でしょうね。

ヨガとはなんぞや。

これを知ると、クンダリーニヨガこそ、ヨガの神髄へ迫る最短、近道の練習法だ、と断言したくなってしまう私です☆



ヨガといえば、ストレッチ的だったり、時に超人的なポーズがあるアーサナを連想する方が多いのではないでしょうか。

日本ではホットヨガや岩盤ヨガなど、美容面を追求したヨガが女性の人気を集めているようですね。

アロマテラピーやクリスタルボウルなどを組み合わせたヨガや、マーシャルアーツの要素を取り入れたヨガなど、新しいコンセプトのヨガもどんどん生まれています。


ヨガは古代インドの言葉、サンスクリット語です。「結ぶ」「つなぐ」「統合」を意味します。

アーサナを通して体、心、精神の統一を目指すのもヨガならば、色々なコンセプトをつなぎ合わせていくのもヨガ、ということなんですね。


本場インドでは「直す」「練習する」「アレンジする」「関係する」「結婚」など、日常会話の中で本当に様々な意味を表し、使われているそうです。

その懐の深さというか、ある意味大雑把感は、さすがインドだなぁ、と感じ入ります。笑

ちなみに、正式にはヨーガ、と伸ばして発音します。



2世紀から4世紀頃、『ヨーガ・スートラ』という経典が編纂されました。パタンジャリという方が、古代からのヨーガの智慧をまとめた、4章からなる文献です。

ヨーガ、そして瞑想の目指す到達点、哲学、その構造について、パタンジャリが端的に述べています。



「ヨーガ チッタ(心) ヴィリッティ(作用) ニローダハ(止滅)」


『ヨーガ・スートラ』の第一章2節はこう始まります。


「心の動きを止めること。そして滅すること。それがヨーガである。」


私達は絶えず何かを考えています。それは心の大切な働きのひとつですが、何かに集中している時、私達の心はひとつに留まります。

何かに没頭している集中感。今という濃縮された時にしっかりと留まり、心が定まる無心の状態。

それは時間も空間も超えたところ。

すべてはひとつとなる。

至福の悦びの場、サマディ。






サマディ、三昧と訳されてます。

読書三昧、山歩き三昧、仕事三昧、贅沢三昧、、、やりたいことをとことんやる、究極の状態。

やりたいことに集中しているのは、悦びでもありますよね〜。


このサンスクリット語の音に漢字を充てがった言葉は、仏教用語として日本に到来しました。

俗界(笑)では、欲求を満たすための心の集中状態を表しますが、元来の仏語では、欲を超えたところにある集中状態を表します。


安定した精神の集中が極まった状態。それが、三昧(サンマイ)です。

極まった集中とは、目覚めの状態。今あること、すべて知覚している。

覚醒された意識。


それが三昧の状態です。


そこへ到達することがヨーガの神髄であり、そのための練習法がヨーガである、とパタンジャリは看破しているのですね☆



『ヨーガ・スートラ』の中には、生きる上での深い真理が解かれています。

それは、私達は体も心も思考も精神も、そして霊性も、単体ではなく、全体的システムのまとまりとして発達させていかなければならない、ということです。


「八支則」と呼ばれる8つの法則であり、規則でもあります。

自身に8つの手足があると比喩し、その法則である手足をバランスよく養うことでサマディへと向うことができるという真理です。

サンスクリット語で「ヨーガの8つの手足」を意味するアシュタンガヨーガと呼ばれています。


ヨーガのポーズを意味する「アーサナ」、呼吸法を意味する「プラナヤーマ」などは、この八支則のひとつなんですよ。



八支則は、以下のごとく日本語に訳され、クンダリーニヨガの練習方法は以下の解釈に基づき、そのすべてを同時に育て磨いてゆくことを意図しています。


サマディ「三昧」、目覚めと魂との融合。いわゆる梵我一如。

ディヤーナ「深い瞑想」という無心の状態。

ダラーナ「集中」、字のごとく一点に集中すること。

プラティヤハーラ「制感」といって、感覚と思考を対象から離し内面へと集中してゆく行法。

プラーナヤマ「調気」、プラーナ、宇宙にあまねく生命の気を呼吸を通しコントロールしてゆく行法。

アーサナ「坐法」、健康を促進し、深い集中へと導く体位。

ニヤマ「勧戒」、外界との関わりの中で必要とされる、5つの自制法。

ヤマ「禁戒」。自身の内面とのつながりを明確にし、自分が完全であり、十分満たされているのだという意識を育ててゆく日々の5つの練習法。


もともとヨーガの練習方法とは、この八支則すべてを行うものでした。

時代が流れ、ひとつだったヨーガは22のフォームへと分かれていきました。

そこでは、アーサナにフォーカスしたヨーガはアーサナのみを、瞑想にフォーカスしたヨーガでは瞑想のみを、はたまたマントラを唱えることに焦点を向けたヨーガではチャンティングのみをひたすら練習するようになっていったのです。

ま、身体を動かすことは大好きだけれど、じっと座って目を閉じているなんてぇ、という人もいますし、歌うなんてとんでもないっ、という人も中にはいますからね。。。



ここで再び、ヨーガとは何を意味していたかを思い出してみましょう。

ヨーガとは「統合」です

八支則をひとつの法則と捉え、練習を通し「ひとつになること」を経験する。

それがヨーガです。



ここに、クンダリーニヨガが登場します。にっこり

クンダリーニヨガの訓練や練習法は、この八支則すべてが、どんなものにも含まれているのです。


あのヘンテコな案山子のポーズも、腕をブルブル震わせながら数分間耐え忍んでいると神経系が調整され、雑念が淘汰され、更なる数分間へのエナジーが呼吸から注ぎ込まれるのを感じ、感覚が研ぎすまされ、そして、サマディ、、、となる訳です。

短絡過ぎました、ね。笑


が、クンダリーニヨガのテクノロジーと技法が、八支則を同時に育ててゆくということは確かです。


そしてその過程において、創造的な可能性のエナジーをも磨いてゆくのです。

そのエナジーとは、クンダリーニ。


私達の内に眠る、無限の可能性を秘めた創造のエナジーです。