2016年2月28日日曜日

泥沼に咲く蓮のように 〜 丹田、そのクンダリーニヨガ的解釈 〜

クンダリーニヨガの練習を始め、まずその魅力に惹き付けられたのは、何と云ってもヒーリング的効果の高さでした。

元々エナジーヒーリングや霊気といった気や霊的直感の世界に親しみ、身体から精神、そして魂に働きかけるダンスやカフナボディワークを行っていた私にとって、クンダリーニヨガはその集大成として映ったのです。


自身が自分と向き合うことでのみ、本当の意味での癒しは起こります。


セラピストもボディワーカーもヒーラーも、その人が持つ自身の治癒力の泉へといざなうのみ。それが役目です。



クンダリーニヨガは自身がクリヤを行うことで、その泉へ自分で到達することができます。

それどころか、無限の可能性の源を掘り当ててしまう。


私はすっかり虜となり、この技術をもっと深めたい、その仕組みを学びたいと1年4ヶ月後、ティーチャートレーニングへ向うことと相成りました。




クリヤは考えうるあらゆる状況、精神、身体に対し、様々な角度から目的を達成するよう古代ヨギィ達によって開発されています。


種類の多様さと簡潔で、ちょっとおもろい(もとい、ユニーク 笑 )練習法は毎回新鮮。その奥深さに感嘆し、意識を高め広げる効力に中毒的快感(笑)を感じていました。

しかしそれ以上に、クンダリーニヨガの哲学、ヨガ的身体学などから、その技法が身体と思考に浸透する様子や、精神性が磨かれる様を理解し、その影響を実感するプロセスは大変興味深いものです。



そして断言できるのは、意識革命といえる意識の変化を、クンダリーニヨガの練習は導くということ。



これらすべてを可能とする鍵は「丹田」にあります。



丹田に働きかける練習法は「火の呼吸」を始め、クンダリーニヨガのクリヤの中で最も頻繁に行われるエクササイズです。

が、なにせ腹筋力の無い私。。。丹田にフォーカスした練習をここ半年間続け、内なる変化を通し、その威力の大きさと重要さがやっと体で感じられるようになりました。

ようやく丹田についてシェアできる次第です。笑

(ちなみにちこっとお腹も引き締まったかな。外なる変化、ですね。笑)




この宇宙にあまねく万物は、エネルギーの振動として存在しています。エネルギーとは、生命のエッセンスに他なりません。


身体学や解剖学を紐解くと、私達の体の繊細で精巧な仕組みに感動します。それは、エネルギー的組織についても同じ。

人間はひとつの循環するエネルギーの型として、緻密に創られているのです。



生命の潮流とも云えるエネルギーは私達の背骨を上下に流れ、体をくまなく循環します。

ヨガ的身体学では、人間には72000のエネルギー循環路(サンスクリット語でナーディ/Nadis)があるとされています。


このナーディが始まる地点が丹田。ヨーガではお臍の地点と呼ばれています。ナーディは生命のエッセンスを体の隅々まで行き渡るよう配置され、手の平と足の裏で終ります。



72000中、背骨に沿って存在する特に活発なナーディが3つあります。クンダリーニヨガを理解する上で最も重要となるナーディです。


クンダリーニが上昇する道となるシュシュムナ(Sushumuna)、その左に位置するイダ(Ida)、右に位置するピンガラ(Pingala)です




これら3つのナーディが出会うポイントである脊柱の付け根は、"クンダリーニの座席" と呼ばれています。眠る蛇がとぐろを巻いて覚醒を待っている場所です。

お臍の地点のちょうど下に位置します。




クンダリーニ上昇には、イダとピンガラの統合が不可欠です。

イダが運ぶアパーナは、呼気とその保持力を通し第1チャクラからお臍の地点へと引き上げられます。

一方、ピンガラが運ぶプラーナは、吸気とその保持力を通し第3チャクラへと降ろされます。



クンダリーニヨガの練習でおなじみの、各エクササイズ後の呼吸法が思い起こされます。

それはまさに、生命の営みの最も基本となる「排泄と摂取」という2大勢力である「アパーナとプラーナ」に働きかけているのですね☆




2つの相反するエネルギーはお臍の地点で混じり合い、熱を発しながらひとつとなり、クンダリーニの眠るすぐ側のエネルギーセンターである第1チャクラへ大きな圧力となって降下します。

そして、眠る蛇を覚醒させるのです。


このプロセスには、更なる呼吸と意志の統制が必要とされます。



呼吸と意志の統制は、お臍の地点への意識なくしては成し遂げられません。





このことについて、『ウパニシャド経典』味深い記述があります。(*リンクの文面中央、引用に続く)





微細なエネルギー(気)の道であるナーディを正しく統御するには、" 特別な痛み ”をとらねばならない。





なんだか腹筋運動の苦しさや、その後の筋肉痛を思い起こさせますね。汗 笑


実際、このお臍の地点を強化するには日々の運動や食事など、習慣的ケアが求められます。そのことを ”特別な痛み” は指しているようです。



私自身、講師養成トレーニングでお臍の地点への目醒めともいえる経験や、近頃感じられる丹田から漲る力強い軸のような塊が、肉体的感覚に発展してきたことからも、日々の鍛錬の大切さを力説したいと思います。



体外へと気を発散しているようにも感じられる丹田の塊は、呼吸や体を動かす重心でもあります。

塊が発する気は、精気そのもの。やる気と持久力を支えます。


頭の中にある考えもイメージも、この重心へ一度降ろすことから、現場での即戦力として威力を発揮しだすのです。




丹田からの呼吸は意志の呼吸。統制力と調和を導きます。そして丹田からの行動もしかり。それは人生へのアプローチに繋がっています。




お臍の地点はプラーナの貯蔵庫です。

このポイントにエネルギーが満ちていると、体を流れる気は滑らか。身体器官すべても気の流れに同調します。

気に満ちている時、私達の排泄機能は発動します。十分なエネルギーがある感覚は私達の行動を支えます。自身の望みや願いを実現する活動力となるのです。





ヨギ・バジャンはお臍の地点について次のように語っています。




無限、神、純粋さ、パワーはみな、お臍の地点にある。

例え問題や緊急事態が起きても、スキャンダルに巻き込まれても、全く影響されない強さを、このポイントは与えてくれる。


泥沼から天に向かう蓮の花のように咲き誇り、人生を楽しむことができるのだ。






例えクンダリーニが覚醒しても、悟りを得たとしても、日々の中に起こる物事は変わりません。

辛い出来事も悲しい事件も、気分の山谷も人生の波も、これまでと同じ様に訪れます。

更なるチャレンジが与えられる可能性も高くなるでしょう。




それでも自分の中心につながり、お臍の地点から動く時、私達はどんな困難に対しても、泥沼に咲く蓮のように気高くあり続けられるのです。