年に二回程、世界のどこかで起こる日食は、視直径といって地球から見える太陽と月の大きさの直径が、太陽より月が大きく映る時にのみ皆既日食となる。
これは地球の廻りを公転している月が、太陽と地球の間に入ることで出来る月の陰が地球に達することで生じる現象だ。
月の陰が地上に降り太陽をすべて覆い隠すのは、ほんの限られた帯状の地域だけ。
でも、地球のどこかで、約1.33年に1度の頻度で、皆既日食は起こる。
この皆既日食を追いかける人達がいる。
" Total Eclipse Chasers " なんて呼ばれたり、自称していたりする。
宇宙の片隅にある太陽系で、この宇宙に生きている実感を味わい、今この時にある濃厚さを経験すると人は謙虚になる。
感謝の想いがとめどなく溢れ、それを誰かと分かち合いたくなる。
実際、皆既日食はとことん美しい。
太陽が暗闇から現れる様は神々しく、心が震える。
立ってなんていられない。その光に腰が砕けそう。
太陽に月が完璧に重なり合っている時、太陽の発するコロナが白く光り輝く。
時折大きさが変わるのは、フレアが発生しているからなのだろうか。
光の粒子が紡ぐのは、聖なる幾何学模様。
見つめていると月が覆い隠している真っ黒な円の中には、生命の花(geometry of Flower of Life)が瞬いているようだ。
森羅万象を表す生命の花。
この宇宙にあまねく全ての生命の基にある幾何学的パターン。
太陽は生命のマトリックス。
太陽を通し、宇宙のマトリックスへと繫がる。
Gayatri Mantra by Deva Premal with the Flower of Life
そんな皆既日食は、晴れていなければ経験できない。
今回の皆既日食が起こるインドネシアのスラウェシ島北部は雨期の真っ只中。当日の天気予報は、曇り時々雨。
到着した日から1日に一度はスコールが降っていた。
きっと大丈夫。あの美しい宇宙の現象を私達は見られるに違いない。
3度目の皆既日食は独り、全身で経験しようと決めていた。今の自分に必要なことだから、宇宙は晴天を贈ってくれる。
集まった友達も出会う人々も、皆キラキラ美しく愛に満ちている。晴天を願い、祈っている。見られない訳がない。
その思いは到着2日目、皆既日食2日前の午後に降ったスコール後、ダブルレインボーの出現で更に強くなった。
虹は、子供の頃から私にとって幸せの予兆だから。
日食の前夜、インドネシアのバリ島では毎年、3月朔日は「静寂の日」として人々は1日中電気も火も使わず、家の中で静かに過す日であることを聞いた。
バリヒンドゥー教はサカ暦の新年だという。
ニョピと呼ばれる祝日になり、この日バリ島内すべての交通機関、そして経済活動も丸一日お休みとなる。
新月のお正月に、光を使わず家の中に籠り静かに家族と内なる光を感じる日なんて、すてきだなぁ。
島をあげて徹底的に働かないなんて、すてき過ぎる。笑
年に一度くらいはこうして時間の流れをリセットすることは、世界的にも必要なんぢゃないかなぁ。
なんて最先端。なんてありがたい祝日なんだ。
そう思って微笑んでいたら、さらに素晴らしい話が続いた。
バリ島の祈祷師達はニョピが皆既日食と連動していることから、この地帯が晴天となることを祈っているというのだ。
それに応じ、スラウェシ島の祈祷師達も祈りを捧げているという。
皆既日食の朝は、これまでにない大快晴だった。そしてこんなにも晴れ渡る朝は2週間のスラウェシ島滞在で、この時だけだった。
まるで皆の願いや想い、そして祈りが天へ昇り、私達みなが宇宙の生命の源へつながり、太陽から祝福されているかのようだった。
祈り。
祈りは願いや望みを叶えてもらうためのものだろうか。
神仏にご加護や救済を請う行為なのだろうか。
私の父は信心深い仏教徒の祖母に育てられたというのに、結婚前カトリックに傾倒していた。(超大酒飲みであることは、母と神父様に隠していたらしい。笑)
そのお陰で私達子供は生まれると自動的に教会で洗礼を受け、七五三参りの代わりに白いドレスを着させられ(これがかなり似合わなかった。。)、初聖体のミサでお祝いをしてもらった。
「主の祈り」を唱えることは私とって、自然に身に付いた習慣だった。
モノを考えるようになった思春期、この祈りは「天にいる父なる神」への賞賛と、願いと救済を求めているように私には感じられた。
その頃、そもそも日本人は森羅万象すべてに神が宿るという感覚を持ち合わせていたので、宣教師が”唯一の神”を説いた際にも、その感覚で”神”を捉えていたという趣旨の内容が書かれた本を読んだ。
自分が捉えていた神に対する「何か偉大なるもの」という感覚の原点に気づかされた。
願いや罪の救済の文句に納得がいかなくなっていた私は、唱えることを止めてしまった。
ただ、この宇宙を司る何か偉大なるものへ平和や幸せを祈ればいい。そう思った。
父を突然亡くした17年前、思いのやりどころが無くひたすら山の中を歩いた。失意と絶望にある母に寄り添い、会話もなくただただ歩いた。
草花や木、空や海だけが、抉られた心臓を動かしてくれるようだった。
歩くことは私にとって祈りだった。
家族以外、誰にも会いたくなかった。悲しみと自分への怒りを感じることしかしたくなかった。
そんな時、友人が般若心経の小さな経本をくれた。
死の数年前より仏教に帰依しているかのようだった父は、般若心経の言葉を思わせる短歌を残していた。
唱えていると心が内へ内へと向ってゆく。感情を超えた心の領域へ導かれるのだ。
ただただ歩くことに似ていた。
祈りの背後にあるコンセプトとは、自分自身の見知らぬ領域を開拓したいという衝動だと、ヨギ・バジャンは述べています。
エナジーヒーリングや身体を超えた領域について学んでいた時には、”小さなエゴである自分を何か偉大なるものに委ねる”ような祈りを私は唱えていました。
そうすることでエネルギーや魂の純度を高めることができる、と感じていたからです。
ハワイのシャーマン的役割を果たしていたカフナの智慧と教えの一番重要な礎となる普遍的法則は、「家族」です。
すべては慈悲的な調和のムスビより始まります。
カフナボディワークの練習で、身体を極限まで使い自分の中心にあることを目指すのは、その慈悲的な調和のリズムに身体の動きを合わせてゆくことでした。
そのリズムに乗り、自分の中心から動くことは呼吸の力なくしては成し遂げられません。
呼吸そのものが祈りであることに気づかされました。
すると、生きることは祈りそのものなのだと感じるようになりました。
ヨギ・バジャンの言葉は続きます。
「祈りの基本的テーマは、自身の未知の領域を今ある自分の領域に利用するためのものだ。
未知なる領域と知り尽くした領域が自身の中でひとつとなる時、神は生きる。
この二つの領域が分離している時、神は休止状態にあるのだ。」
祈りはこの二つの領域の伝達道具と云えます。
未知なる領域というのは予備に蓄えられている力です。
祈りはその未知なる領域からのエネルギーを、マインドを通し開拓することに他なりません。
自身の祈りの力だけがこの伝達を可能とするのだと、ヨギジは述べているのです。
「何かとてつもなく偉大なるものは誰もが感動する。
空を青とさせたもの。雲を創りしもの。それが神ならば、自然と感謝の思いが涌き起こる。
神への感謝は祈りだ。
祈りは神の無限性への感謝だ。そしてその神の無限性とは、私達ひとりひとりの未知の領域のことなのだ。
果てしない広がりへの感謝と創造性への感謝が、現存の自分の領域と未知なる領域の間をつなげるのだ。」
自身の祈りの力とは、感謝なのですね。
私達は色々な力を兼ね備えていますが、感謝は最もパワフルな力と云えます。
二つの領域をつなげる祈りは練習あるのみ。
これは意識的に生きる、ということでもあるからです。
顕在意識と潜在意識という言葉に、この二つの領域を置き換えるとわかり易いですね☆
私にとってクンダリーニヨガは、意識的に生きることの練習でもあります。
生きることは祈りそのものであるという感覚を、現実のコンセプトへと発展させてくれたツールでもあります。
「自分自身を頼る練習が必要だ。自身であることを学ぶのだ。波動を高めることを学ぶのだ。
それは誰にでも学び、練習することができる。
自身の力を持っていなければ、他のどんなパワーも機能しない。
一番純粋なパワーは自身の魂の力だ。
魂の波動が心から放たれるようになりなさい。
それはあなたの祈りなのだ。」
- ヨギ・バジャン
祈りは生きることを変容させる力がある。私にはそう思われるのです☆
旅のつれづれ、魂のゆくえを求めて続きます。